埼玉協同病院

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専門医シリーズ13

地域の「最後の砦」として

専門医シリーズ 13

小野 未来代 医師

プロフィール●

1990年東京女子医科大学卒業、埼玉協同病院入職日本内科学会総合内科専門医。日本消化器内視鏡学会専門医・指導医

幼い頃から献身的に働く医療生協のスタッフの姿を見て医師になることは自然でした。院内保育所とともに3人の子育てをしながら診療所勤務も経験し、内科医としてのキャリアを重ね、内視鏡のエキスパートとして健診からがん治療・後進の指導にあたる小野未来代医師に、これまでの経験や「患者の権利」をめぐって今感じていることを聞きました。

埼玉で医師になりたい

まもなく医師生活30年になる小野医師。秩父生協病院の事務職員と看護師だった両親とともに、処置室や訪問診療にも付いて回り、夜間診療が終わってようやく帰れると思えば、その後は田舎の真暗な道を患者さんに薬を届けたり、時には当直室に泊まる事もありました。
当時は、毎日の夜間診療に加え日曜日も診療。当時の高橋昭雄院長をはじめ多くの職員が住み込みのようにして献身的に働いていました。休みは秩父夜祭りとメーデーくらいでした。週末の当直医がいないと父が大学病院に頭を下げ、夜が明ける前から遠方の大学に送迎に行ったりする姿を見ていました。
そんな中で医師をめざし、女子医大入学時には埼玉民医連の奨学生でした。医療過疎である埼玉で、しかも秩父で医師になると思っていました。
殆どが大学に残って研修する時代に協同病院で研修開始。研修医は毎年1人とか2人でした。医師が少なく大半の医師が年中無休で病院で過ごしており、夜食を差し入れてくれるお母さんのような看護師さんが外来にも病棟にもいました。
入職した頃内科研修制度が始まり内科認定医、専門医を取得、体力的に長く続けられそうな内科で興味があった消化器に。5年目にがんセンターで外部研修。内視鏡認定医その後指導医資格を取得しました。

診療所で経験したこと

内視鏡の勉強をした後に、浦和民主診療所所長として異動し、消化器中心から内科全般、往診、健康診断など未経験の業務に戸惑いました。「正直早く病院に帰りたい」と思っていたと言います。
病棟は大変でしたがお互いカバーしあって仕事ができました。診療所では診療時間は患者さんが途切れることなく訪れ、どうしても時間内に仕事をこなすことが求められます。150人いた往診患者さんに急変や看取りがあれば、夜でも駆けつけます。多くは慢性疾患の患者さんで、迅速な治療が優先される急性期病院に比べ、世間話から始まり、患者のことも家族のことも知っておくという家庭医的な付き合いが求められます。一方で「無駄な話はいいから早く」という方もおられ対応には気を使います。
人手がなく休めないなどプレッシャーもある中で、近隣の開業医とのお付き合い、医師会の行事など外部との関係づくりなどマネジメントも学びました。
結局、診療所の建て替え移転があったり、旧診療所で4年、新築移転後4年と、通常の倍の診療所勤務となりました。

がんを早く見つけ、治療する時代に

現在は、協同病院と浦和民主診療所とで合わせて年間2500~3000件の内視鏡検査数を持っています。小野医師が消化器内視鏡学会指導医を取得したことで内視鏡学会の研修指導施設になりました。もともと県内でも有数の症例数からこれまで内視鏡に従事する医師は当院で研鑚し専門医・指導医資格を得ています。
内視鏡でのがんなどの切除術は、傷をつけず、術後の回復もはやい治療として年々ニーズが高まっています。食道・胃・大腸は内視鏡治療が中心になりつつあります。平均寿命が延びる分、様々ながんが増え、2人に1人ががんになる時代。治るがんを早く見つけて死亡率を下げるため、ますます期待される分野です。
小野医師は、治療内視鏡は若手に任せ、スクリーニングや健康診断などを中心に行いながら、病院リニューアルに伴う内視鏡センターへの充実を期待しています。

患者さんをめぐる社会の変化

小野医師がここ2~3年特に感じているのは、社会的に弱い立場に置かれた人が確実に増えていることです。お年寄りも若い人も一人暮らしが増え、親戚や地域との関係もなく、困った時に「困った」と言えない人が多くなっています。お金がなくて糖尿病治療を中断し、足を切断しなければならない人、今日食べるものがない、住むところがない。アルコール依存症や精神疾患を持つ人も増えています。
健診の早期発見の一方で、手遅れ状況の二極化が気になっています。ずっと前から症状があったと思われる人が、我慢を重ねて手遅れなことも頻繁にあります。離婚やリストラ、親の介護、ケガなど問題を抱えた人の成育歴や社会背景を聞き、事情がある人や中断している患者さんに連絡を取り追いかけていますが、とことん追い詰められてから駆け込んでくる人が増えています。ちょっとしたトラブルがきっかけで生活そのものが崩壊する。セーフティネットが極めて弱い社会になっていることを強く実感しています。

医療生協が「最後の砦」

いま、他の医療機関や行政から困難な患者さんの紹介が増え、医療生協の病院・診療所が「最後の砦」になっている現実があります。
医療生協は、患者さんを一人の人間としてとらえ、病気も生活にある問題も一緒に考えなければ解決しないと言う姿勢が根付いています。小野医師は進路を決める時はどちらかというと「自分が何かしたい」というよりは、「何を要求されているのか」を考えてきました。だから、地域に出かけ「厳しい批判」も「感謝や励まし」も大事にしたいと思っています。そこには気負いは感じられないものの、決して流されず、人のためにという芯の強さが見え隠れします。
キャリアの仕上げの時期を見据え、これからも「何をしたらいいのか」を考え、後に続く人たちと「自分達に期待されていることを精一杯がんばっていきたい」と思っています。