専門医シリーズ

一人ひとりの背景をみて解決を探る“社会派ER”

専門医シリーズ29

後藤 慶太郎 医師

プロフィール

〈経歴〉 東葛病院副院長、(救急総合診療科科長、HCU医長)、2021年4月 埼玉協同病院(救急科部長)、2022年5月 副院長兼任

〈資格〉 日本救急医学会 救急科専門医、日本内科学会 認定内科医、日本プライマリケア連合学会 認定指導医 プログラム責任者

埼玉県の二次救急指定病院として救急医療を担う、埼玉協同病院。後藤慶太郎医師は、救急科(ER)の専任救急医として働いています。「患者さんをほっとけない」と語る後藤医師の仕事への思いをうかがいました。

医療像を考えた3つの出来事

 “社会派ER”と呼ばれる後藤慶太郎医師は、2021年4月、埼玉協同病院の救急科部長として着任しました。救急科(ER)は、地域の救急医療を担う最前線。川口市や近隣から救急車で運ばれる年間約3300台の救急搬送の受け入れや、入院中に急変した患者さんの対応など、重要な役割を担っています。
 兵庫県神戸市生まれの後藤医師は、高校時代の体育の授業で大腿骨を骨折。四度の入院や手術経験がきっかけで、医師の仕事に興味を持つようになりました。高知医科大学(現・高知大学医学部)に進学後の1995年、医学生にとって将来の医療像や医師像を根底から考え直す3つの出来事が起きました。薬害エイズ訴訟の支援運動、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件です。
 「薬害エイズ訴訟の原告・川田龍平さんと母親の川田悦子さんの取り組みに関心をもち、医学生だった私もカンパ活動などに参加していました。そんな中、薬害エイズ訴訟支援に取り組んでいる病院を見学する機会がありました。それが、民医連の病院との出会いです」

救急医の道を究めようと決意

 2000年に高知医科大学を卒業し、千葉県流山市にある民医連の東葛病院へ。研修医時代から救急患者の対応が好きだったこともあり、東葛病院でERの道を本格的に目指すことに。その後、当院の救急担当医を経て、救急科部長を任されることになり、現在に至ります。
 「当院に、救急車で1日に10台前後搬送される中には、生活が困窮している人、アルコール中毒、ホームレスなど、複雑な背景をもつ患者さんが運ばれてきます。受け入れられるか否か緊急性の判断が求められますが、できるかぎり受け入れています」
 どんな事情があっても、だれもが最高水準の治療を受ける権利をもっている、と語る後藤医師。しかし、患者さんの中にはコミュニケーションを取るのが難しい人も多いそうです。

問題に介入しなければ、社会構造は変わらない

 「本当に助けが必要な人は、自分から助けてとは言いません。治療やケアを拒絶されたり『死にたいからほっといてくれ』と言われたりすることも。でも、ほっとくことはできません。なぜ死にたいと考えるのか、なぜ非人間的な生活に追い込まれているのか。医療従事者が介入しなければ、社会構造は何も変わらないと思う」
 ときに熱く、ときに淡々と語る後藤医師の言葉には、救急医としての使命感や強い意志があふれています。
 「病気やケガを治すだけでは、問題は解決しない。だから、一人ひとりの背景や病気やケガのきっかけとなった問題に、こちらから介入し探りにいきます。たとえば、若い女の子が搬送され、薬物中毒やDV、性的虐待などの原因が考えられる場合。本人に話を聞いてみると、深刻な事実を突きつけられることが多々あります。彼女たちがここにやってきた原因を早めに察知し、そのまま家に帰すのが危険な場合、まずは入院というかたちで非難させ、警察や児童相談所などに通報します」

危険が迫る中、ぎりぎりの判断がいのちを救う

 目の前の課題に果敢に切り込む姿勢は、新型コロナウイルスの重症患者に対しても揺るぎません。第6波を迎え、どの病院もコロナ病棟が満床だった時期、酸素飽和度40%という重症の患者さんの受け入れ要請がありました。すでに2時間近く病院を探しており、命の危険が迫る中、後藤医師は受け入れを決断しました。患者に人工呼吸器をつけ、集中治療を行い、行政と相談して、コロナの拠点病院に転送。患者は無事に回復しました。
 「ぎりぎりの判断で救命できたことはとても嬉しい。でも、美談では終われない。社会的に複雑な背景をもつ患者さんの場合、ほかでは敬遠されることもある。救急の第一線として患者さんのSOSを察知し、何らかの手を打ち、安全な生活を確保する。これが、われわれERの役割だと思っています」
 インタビューの終わりに、休日についてたずねると、仕事の顔から一変し、柔和なパパの表情に。
 「家では、小4、小1、4歳の子どもたちが優先なので、私の時間はありません。阪神ファンの私の影響で、小4の息子は少年野球チームに入っています。お兄ちゃんの野球にママがつきそう場合、下の子たちの子守りをするのが、休日の私の使命です」

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