専門医シリーズ

みんなで総合力を上げたい。どこでも生き続ける協同病院の研修。

専門医シリーズ11

忍 哲也 医師

プロフィール

1996年岐阜大学医学部卒業、1996年埼玉協同病院勤務。認定資格:日本内科学会総合内科専門医、日本プライマリ・ケア連合学会認定指導医、日本消化器病学会消化器病専門医、日本消化器内視鏡学会消化器内視鏡専門医・指導医、日本肝臓学会肝臓専門医。

「専門医シリーズなんだけど、専門医と言われるの僕ちょっとあんまり好きじゃない」と話し始めた内科部長で研修プログラム責任者の忍哲也医師。医師としての思いや、研修医たちへの期待を語っていただきました。

お年寄りの医院をやる

「本当は博物館とかの学芸員みたいな仕事をやりたかった」と言う忍医師は、高校生の頃、老人の拘束が社会問題になり、テレビでベッドに縛りつけられるお年寄りを見て、「それは間違っている」とお年寄りの医院をやりたいと思います。「別に自分がなったからって何か変わるわけじゃないだろうけど」と当時を振り返ります。
自分自身も、子どもの時は身体が弱かったことや、思春期には「なんで自分はこういうものの考え方をするのか」人間を知りたいと思ったことが、現在につながったと言います。

見学当日に入職

学生時代のみどり病院(岐阜民医連)での病院実習などで医療理念に共感し、5年生の時の阪神淡路大震災のボランティアなどの体験から「どこかで急に倒れた人がいるとか、困った人がいた時に、僕は○○科なんで分かりませんと言う医者にはなりたくない」と、就職は大学への入局が圧倒的な中で、民医連での研修を決めていました。それでも、ある程度世の中の標準に対抗できて、総合的な研修ができる所を探します。当時民医連には研修施設が数ヶ所しかなく、しかもすでに募集は終わっていました。6年生の12月、突然埼玉協同病院を見学し、その場で入職を決めました。
「別に地元じゃないし、合わなかったら戻れるような気がしていた」と笑います。

研修医の無力

研修医時代、二人目に受け持った患者さんはかなりの進行がんでした。がんの転移で「なんでこんなお腹が大きくなるの。どうにかなんないのかな」と落胆される患者さんに、ただ話を聞いてあげるだけ。何もできない研修医の無力感にさいなまれた経験が今も忘れられません。
今は、「亡くなるのは悲しいけど仕方のないこと。最後まで診られると内科を選んだのだから、いかにいい人生の終わりを診てあげられるか、残った人、ご家族にとって納得のいく最期にしてあげられるかが医者の大事な務めだ」と感じています。

戻るのは一人前になってから

当時の研修は今のようにめまぐるしいローテーションがなく、同期の7人でワイワイと内科を中心にじっくりとやれました。
上級医は、何でもサクサクとこなされる石津先生で、4年目にはこんなにできるようになるんだと感動していました。しかし、2年終わった時にやっぱり地元に戻ろうかなという思いがよぎります。病院の医療レベルは本当に標準的なのかという思いがありました。
そんな時にある医師が言います。「どうせ戻るんだったら一人前になってから戻った方がいいんじゃない」
一方では、「足りないところを自分が学んで水準を上げたい」という思いもあり「それもそうだ。研修医で慣れた所、気心知れた所の方がやりやすいかな」と思いとどまりました。
どこに行っても通用する技術を身に付け、協同病院の消化器内科の医療水準を上げようと、その後埼玉医大総合医療センターをメインに、さいたま市立病院、東大、日大、虎の門病院などと実にさまざまな研修に出ます。

総合医と専門医

例えば、自治体によっては専門医でないと行えない診療行為があります。水準を確保する点からの必要性もありますが、医療の機会均等としての点では問題があります。しかし、現在の医療をめぐる流れの中では制度に添っていないとできないことが増えて、協同病院でできないからと他院に紹介すれば、結局何万円もする高い差額ベッド料金を払わされてしまうこともあります。
「僕は、専門医と言われるのは好きじゃないんです。本当は総合医って呼ばれるのが理想なんです。総合医は働く場所によって仕事の中身が変わります。協同病院の内科医は外来でも病棟でも専門以外の人を診るとき、自分は総合内科医だと思っているんじゃないですか」
総合医がどこまでやるかは個々の判断です。それは患者さんにとって良いと思う、医師の感覚や、患者さんの希望に合わせて対応しています。
当直の時に、子どもを診ていたら、「小児科の先生呼んでくれ」とか、「何で消化器の医者が肺炎診てるんだ」と言われ、嫌な思いをすることもあります。
忍医師は、医師の総合力という点からも専門医制度はあまり良くないと考えています。しかし同時に「患者さんや研修医教育のためには専門医教育は必要であり、取った上で改善を求めていく必要がある」とも考えています。

協同病院のスタイルを

「以前は、研修指導医として『協同病院の研修医を』と狭い姑息な思いもあった」と笑います。最近は、もし初期研修修了後に当院を辞めたとしても、技術とはちょっと違う、患者さんに寄り添える心や患者さんの話を聞こうという、協同病院で学んだスタイルを基礎に持っていてくれれば、世の中の人に役立つ医者になってくれると考えています。協同病院のチーム医療からも学ぶところは大きいと思っています。自然と意見を言い合う対等なチームが普通だという感覚から、患者の立場に立った良い医療が生まれると考えているからです。そしてその姿勢は簡単にはほころびない。この医療観から、協同病院を一度辞めた職員が戻ってくることもよくあります。

埼玉でがんばることが恩返し

「研修医たちが大事にされていると思ってくれてるのはありがたいものの、『研修医の症例発表だから行かなくちゃ』と、みんな忙しい中でも、指導医たちが普通に集まってきて、みんなで勉強してもっと総合力上げていこうよっていう雰囲気づくりが必要」だと話します。
最後に、忍医師は「みどり病院の人にはすごくよくしてもらって、向こうも絶対入ってくれるって思っていたと思います。最後に埼玉にしちゃったんで本当にがっかりさせたことは申し訳ないというか、20年たった今も胸を痛めてます」と言う忍医師はその分、埼玉で頑張るのが恩返しだと今も強く思っています。

病床で消化器内科科長の間野医師と

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