専門医シリーズ

在宅医として「最期まで自分らしく生きる」を支えたい

専門医シリーズ32

稲村 充則 医師

プロフィール

<経歴> 1980年新潟大学医学部卒業、埼玉協同病院入職、1984-85年代々木病院/東大病院でリハビリテーション医学研修、1992年-1997年秩父生協病院院長

<認定資格> 日本内科学会総合内科専門医、日本リハビリテーション医学会専門医、日本プライマリ・ケア連合学会認定医、日本在宅学会認定専門医・指導医、日本脳卒中学会専門医

地域に寝たきりの人をつくらない」と、急性期のリハビリテーションに力を入れてきた稲村医師。在宅医療専門医としてもいま、多くの終末期の患者さんに寄り添います。その歩みをうかがいました。

少年時代に出会った憧れの医師

玉県熊谷市で生まれ育った、稲村医師。少年時代の記憶には、近所で診療所を営んでいた医師、小林盈蔵先生の姿がありました。後の埼玉民医連会長です。
「幼少期に水ぼうそうなどで何度か受診した記憶が残っています。緊急で往診をして頂いたこともありました。小林先生のていねいな診療や温かいことばに、いつも励まされていましたね」
そんな小林先生にあこがれ、「医師になりたい」と考えるようになった稲村医師。小児診療所はやがて「熊谷小児病院」そして「熊谷生協病院」へと発展しました。稲村医師と民医連の縁は、子ども時代から始まっていたのです。その後、新潟大学医学部を卒業した稲村医師は、埼玉に戻って地域医療に尽力しようと考え、埼玉協同病院で初期研修をスタートしました。
「当時は、『高齢化社会に備え、老人医療に力を入れよう』という時代です。埼玉で地域医療を研修できる病院を作ろうと先輩の誘いを受け、当院に入職したのです」

寝たきりは、内科のベッドでつくられる

研修医時代、たくさんの患者を診てきた中で、稲村医師はあることに気づきました。「寝たきりは内科のベッドでつくられている」という実態です。たとえば、脳卒中になると手足が動かないなどの麻痺症状や、言葉の出にくさなどの後遺症が残ることがあります。発症直後から2週間程度の急性期は、脳卒中だけではなく慎重に経過をみる時期ですが、ベッドの上で安静にするだけでは、筋肉が衰えたり関節が動かしにくくなったりして、身体の運動機能が低下し、そのまま寝たきりになってしまうことも。
「当時、リハビリテーション科を設置している急性期病院はほとんどありませんでした。リハビリテーション医学を学び、内科・プライマリケア・高齢者医療の実践の指針とする。埼玉協同病院で早期からのリハビリテーション医療を確立し、“地域に寝たきりを作らない”を自分のテーマにしました」
こうして独学でスタートし、その後、東京大学や代々木病院で専門研修をし、埼玉協同病院のリハビリテーション医療の礎をつくりました。

何とかして以前の生活に戻してあげたい

「独学でリハビリに取り組んでいたころ、ひどい褥瘡ができたという理由で、30代の脊髄損傷で下半身が完全まひの患者さんが当院に移ってきました。この人を何とかして以前の生活に戻してあげたいという一心で、まずは褥瘡を治療し、上半身が衰えないようにマッサージなどのリハビリを施し、退院後は国立のリハビリテーション病院に移れるよう、手続きをしました」
それから3年後、その患者さんが改造した車を自分で運転し稲村医師のもとへ。「あのときはありがとうございました。先生が適切なリハビリをし、紹介してくださったおかげで、今は自宅を改造し、塾を開いて、元気にやっています」という言葉に、「本当に嬉しかったですね」と目を細める、稲村医師。
患者さんの笑顔に背中を押されるように、リハビリテーション科だけでなく、在宅医療専門医として、1985年から現在まで、一般診療と訪問診療を続けています。
「訪問診療では、リハビリの視点を活かして、患者さんを診るときに、話を聞いたり体を動かしたりしながら、この人はどうしたら歩けるようになるか、どのような食べ方がよいのか、などを判断しています。“病気だけでなく、機能、生活、人生を総合的に見ること”。東京大学の上田敏先生の教えを今も大事にしています」

“最期まで自分らしく生きること”に寄り添う

現在は、週3日の訪問診療で、1日5~6人を診ているという稲村医師。その多くは高齢で、がん、非がんに関わらず人生の最終段階を自宅で過ごす患者さんです。中には1人暮らしでヘルパーさんの手を借りながら24時間人工呼吸器をつけて過ごす障害の重度な神経難病の方もいます。
「在宅医療のいいところは、治療やケアの方針について、患者さん本人、ご家族、医療者による“意思決定”が確認しやすいことです。ADL(Activities of Daily Living:日常生活動作)やQOL(Quality of life:生活や人生の質)の向上も大切ですが、何より大事なのは、患者さんの歩んできた人生や考え方を尊重することだと思います」
実際には「最期まで住み慣れた地域で暮らしたい」と望んでいても、「やっぱり家族に迷惑をかけたくない」という理由で病院や施設での最期を選択する人が多いのが現状です。埼玉協同病院では開院以来40年以上、在宅医療(訪問診療・往診)に力を入れてきました。「住み慣れた場所で最期まで自分らしく生きること」を支え、多くの方を自宅で看取ってきました。「ふれあい生協病院」は在宅療養支援病院として地域の方々が安心して生活できる在宅療養を支援していければと考えています。
鉄道が趣味という稲村医師。北海道から沖縄まで、日本全国すべての県を訪れているそうです。「いつか、5人の孫たちと電車で旅をしてみたいですね」とやわらかな笑顔で語っていました。             

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